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著書/著者/内容 |
- 書籍名 鶏の復権
- 著者名 佐野 正雄
- 著者紹介 九州大学農学部農学科卒。植物学教室副手。大同学院(満州)十期生。龍江省高等巻試補農林科所属。白城県技佐実業科長。同県勧農模範場長。黒山件技佐勧農模範場長、敗戦、帰国。東京民間企業総務、等。大島二中、明正中学教諭。都立日本橋高校教諭(13年半)、都立新宿高校時間講師、等(10年)
- 発行社 創栄出版
- 総頁数 268
- 発行日 平成12年10月28日 (西暦2000年)
- 判サイズ(mm×mm) 195 133
【前編 多産鶏時代の先達・橋本善太】
まえがき
〔一、橋本善太のあゆみ〕
(1)橋本善太の履歴・特記事項一覧表/付・賞一覧表
(2)多産鶏作出の競争時代回顧
@一年無休産卵三百六十五卵鶏出現までのあしどり一覧表
A1.三六二卵鶏の河北新報の報道(昭和十二年十一月二日火)
A2.強力なライバルと友情((a)橋本善太翁との友情 (b)青森県 江渡富次郎氏の記事)
B他紙に報道された記事〔(a)一年に三百六十二個 養鶏の世界新記録更新−苦節三十年の研究が実を結ぶ、世界的橋本氏の養鶏(昭和十二年十一月一日新岩手日報) (b)世界タイ記録、本年は四羽−一道六県、産卵オリンピック(昭和十三年十一月一日 新岩手日報) (c)橋本氏(日詰)所有白レグ−産卵世界新記録、一か年間に三六四個産出(昭和十四年十一月一日 新岩手日報) (d)産卵(年中無休鶏)、世界記録遂に実現す−橋本氏(日詰)苦心の凱歌(昭和十四年十一月一日 新岩手日報) (e)1.鶏卵不足蹴飛ばして一年中産み続け遂に無休卵の記録樹立(昭和十四年十一月一日 読売新聞) (e)2.蚕種製造が本職、鶏に蚕の遺伝を応用したまで (f)日詰町の蚕種製造家 橋本善太氏 ロックで三百六十五産ませたり−橋本さん、またも卵の世界新(昭和二十七年十一月一日 新岩手日報)〕
C黄綬褒賞受賞〔(a)黄綬褒賞に輝く三氏 業績をたどる (b)無休卵に世界記録、種鶏 台湾・南方へも渡る (c)栄えの黄綬褒賞受賞者 ◎ニワトリと寝食共に、五十年の功績で受賞の橋本氏 (d)人物繁昌記(紫波の巻)〕
(3)橋本善太の多産性遺伝の理論的構成
@三六五卵鶏作出秘法ほか概要解説〔(a)「雑種強勢」について (b)「換羽と多産性」について (c)「連産性と持続性」について (d)ゼンタック (e)鶏の種雄の国家管理を主張 (f)飼養管理の適否による産卵率の変化について (g)「華やかな結果に舷惑されるな」〕
A種雄の国家管理(善太論説)
B鶏の多産性と遺伝(第二回総合養鶏講習会講義要旨)〔(a)多産性の分析 (b)横斑の遺伝様式と多産性の遺伝との類似 (c)交配強勢(雑種強勢) (d)多産鶏の育成〕
C華やかな結果に舷感されるな(善太論説)−多産鶏の作出は遺伝質の究明が何より大切だ
〔一、善太さん〕
(1)善太さんの常住坐臥〔(a)自分の手がけたものは何事でもとことん追求する (b)極めて率直・明快なこと (c)気配りが周囲の人々すべてに行き届いていたこと (d)鶏・蚕に対する観察力は天与の才能 (e)座談の名手 (f)ニワトリに取り組む姿勢 (g)社会人としての善太さん (h)家庭人としての善太さん (I)善太さんのくせ (j)遺伝学と善太さん (k)善太さんのしめくくり
(2)善太さんの新岩手日報・河北新報社に寄せた随筆〔@三つ子の魂 A魚釣り哲学 Bゴマすり Cムダもまた人生 Dホヤ奇談〕
(3)善太さんの周辺
〔三、蚕種製造の業績〕
(1)清郎氏図説 (2)橋本善太の事績〔@蚕種製造数量の総実績 A日本蚕品種大安橋の作出〕 (3)講演 (4)挨拶 (5)水害対策の提言 (6)岩手蚕種の用いた用紙の一部 ◎所長の考え (7)数ひ歌(九十九里の大漁節で) (8)岩手蚕種製造所の歌(作詩 川守田鱗三)
〔四、輝かしい生涯と終焉〕
(1)故橋本善太頻徳碑建立趣意書 ◎頌徳碑建立の呼びかけ 橋本善太氏頌徳碑建立発起入会(養鶏関係代表 岩谷龍一郎) (2)表彰状九枚と感謝状一枚 (3)追悼文〔@鶏卵多産で世界一 A風土計〕 (4)新聞の報道〔毎日新聞/故橋本氏に瑞宝章伝達/岩手日報 橋本善太氏死去/天才的な鋭いカンの持主 死去惜しむ国分翁/読売新聞 橋本善太氏(全国養鶏組合連合会長)/「養鶏の先達・善太さん 日本種鶏研究会副会長 浦上武次郎氏が語る/善太さん(葛西道行)
〔五、資料〕橋本書太に対する藍綬褒彰具申書(岩手県知事↓農林大臣宛)−極めて要領よく善太氏のほとんどすべての業績の概要と履歴が記されている。この具申書だけでも善太氏の輪廓がつかめるであろう。
あとがき
【後編 時を告げ/ニワトリ よ】
〔一、人と鶏とのかかわりかたの変遷〕(1)野鶏について (2)野鶏などについての現地報告〔其の一 伝説物語「火の子」 其の二 野鶏に付いて〕 (3)野鶏から家鶏への道 (4)家鶏の適応と拡散 (5)養鶏の今昔
〔二、現在の鶏の品種〕(1)世界の鶏〔@世界の鶏の品種分化 A実用鶏の浮沈 B愛玩鶏〕 (2)日本鶏(天然記念物・その他)〔@日本鶏の系統図 ◎海を越えてきた鶏 A日本鶏品種一覧〕
〔三、鶏を飼おう〕(1)ペットとしての鶏 (2)実用性と家庭で飼う場合の留意点
〔四、ニワトリの効用〕(1)鶏卵 (2)鶏肉 (3)鶏糞
〔五、ニワトリ雑学〕(1)ニワトリの記録 (2)問題十二問 (3)鳥類出現までの進化の遣すじ
〔六、家禽品種の常設展示場の必要性〕
〔七、競鶏への招待〕
あとがき(年賀状)
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町制施行30周年記念誌(65Page抜粋)
年三百六十六卵の世界新
橋本善太は、町議会議員、町助役、県議会議員など政界人として活躍した面もあったが、その功績は、蚕種業界と種鶏業界で評価されている。
大正年代は、わが国の養蚕の最盛期。当時の蚕種改良は、純粋繁殖の理論が至上とされていたが、これは、カイコの弱体化で養蚕家に不利。このため雑種強勢の理論で、強健で生糸歩合の高い一代雑種「大安橋」を作出することに成功し、全国の注目を集めた。
鶏の研究でも評価された。昭和初期、畜産界では、「鶏卵オリンピック」が行われていた。これは、毎日確実に産卵する鶏を育てようというもの。昭和十四年、中央家畜研究所に委託した単冠白色レグホン四−四二号が、年間三百六十五卵の世界新記録を樹立。また、昭和二十七年の日本種鶏場の産卵検定では、プリマスロックが年間三百六十六卵(この年はうるう年)を記録して、卵肉兼用種の分野で輝かしい金字塔を打ち立てた。
鶏の分野でも雑種強勢の理論で、横班プリマスロックの雌とロードアイランドレッドの雄の間に生じた一代雑種を作出。これは、初生びなの雌雄鑑別が用意で産卵率も高く、粗食に耐えて肉質もよいことから広く世に知られた。この鶏は、当時の岩手県知事国分謙吉氏から、氏の名にちなみ「ゼンタック」と命名された。 |
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