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橋本善太の略歴

 21世紀に入り政治も経済も精細を欠く中で、鶏卵は物価の優等生と称えられ庶民の貴重な蛋白源となり生活を潤している。その福音は多産な鶏によってもたらすものであり、その端緒を開いたのは、昭和の初頭、岩手県紫波郡紫波町日詰の地にあって、多産鶏の研究を極め世界で初めて年中無休で365卵を産む鶏を開発した橋本善太翁の功績に依るところが大であります。このホームページは「橋本善太」の業績を顕彰するために開設いたしました。その略歴を紹介するにあたり、橋本善太翁の娘婿である佐野正雄氏の著書「鶏の復権」の「まえがき」の抜粋を下記に引用させて戴く。
橋本善太は1892年6月から1956年7月、64年の生涯だったが、この間世界、近隣、国内の問題を列挙してみると、日清戦争,日ロ戦争、第一次世界大戦、満州国成立、第二次世界大戦、大東亜戦争、生糸の暴落、世界的恐慌その他別表橋本善太の履歴特記事項一覧表の通り、誠に波瀾万丈の時代であった。この間橋本善太は社会的に多くの公的役職についたが、それらすべて大過なく責任を果たし、表彰されたこと多数だった。その傍ら蚕種と多産鶏の作出で偉大な足跡を残すのだが、運がよかったなどと片付けることは全く不可能である。反対に運も亦自ら切り開いたというべきであろう。叡智がどの局面、その局面で働いていたのであろう。多産鶏作出については試行錯誤をくりかえされたこととは思うが、最終的に世界初の偉大な記録を残し、しかもその遺伝学的論説には多くの諸賢を説得するに充分な迫力がある。」
(佐野正雄氏著書「鶏の復権」の「まえがき」より抜粋)

橋本善太 善太と白レグ四十二号 善太の色紙